船橋でりなす日本語模様もよう1【海老川橋】 小舟を並べて橋の代わりに――地名発祥の由来

  • 2024年03月11日

私たちのBTS言語学院は千葉県船橋市にあります。

船橋市は政令指定都市以外では、最も人口の多い都市です。JR船橋駅から東京駅まで電車で約25分、成田空港や羽田空港へは、ともに車で約50分という交通至便なロケーションです。

船橋市内を流れる海老川には、こんな言い伝えがあります。

12世紀に鎌倉幕府を創設した源頼朝(みなもとのよりとも)が、この地を訪れた際、土地の人が川で獲れたエビを献上し、それを喜んだ頼朝によって、この川は「海老川(えびがわ)」と名づけられたといいます。

「海老川13橋」と呼ばれる趣向を凝(こ)らした橋が架かっています(比較的新しい「さくら橋」を数えると14橋)。それぞれ特徴的なレリーフが施(ほどこ)されていて、渡る人々の目を楽しませてくれます。

その一つ、海老川橋の両側の欄干からは、川の上下流それぞれに向かって、船首のモニュメントが突き出ています。

BTS言語学院の船出を期す思いで、この橋の上に立ってみました。すると、「船橋地名発祥の地」の銘板が目に飛び込んできました。そう、ここが船橋の原点の地だったのです。

船橋市の資料によると、昔は海老川の川幅は今より広く水量も多く、架橋が困難だったそうです。

そこで、川に小舟を数珠つなぎに並べて上に板を渡して橋代わりにしたことから、「船橋」の地名がついた――これが有力説だということです。

海老川橋に設置された「由来」には、次のようにあります。

古代の英雄が東征の途次 此地の
海老川を渡ることが出来なかったとき
地元民が小舟を並べて橋の代りとし
無事向こう岸に送り届けたという

端と端をかけ渡すのが「橋」

「はし」という言葉は、よく調べてみると、大変に興味深いものがあります。

「橋」は「端(はし)」と同源だとする説もあります。一方の端、すなわち最前線の部分と、離れたもう一方の最前線にかけ渡すものが「橋」です。

江戸時代の学者・政治家で、言語学に通じていた新井白石が『東雅』という語源辞典を著しています。

そこには、現代語に訳すと、次のような記述があります。

古語に「ハシ」と言うのは、「ワタシ」(渡し)などと言った語と同様の意味があり、彼の地とこの地との間を渡すものを言ったのである。
高所と低所との間を渡すものを「梯」(はしご)と言った。
「箸」(はし)も、鳥の「嘴」(くちばし)も、食べ物と口との間を渡すものである。

(新井白石『東雅』)

ほかにも、「柱」(はしら)は上下にわたし、「艀」(はしけ)は船と陸をわたすものと考えられます。

入学してくる留学生の夢の実現のため、日本語はもちろん、生活習慣などもしっかり習得できるようサポートし、日本での次なるステージへと送り届ける懸け橋になりたい、という気持ちでいっぱいです。

BTS言語学院は、船橋の地から日本と世界各国を結ぶ国際人材の輩出へ、ベストを尽くしてまいります。

本稿「船橋で織りなす日本語模様」では、伝統と文化、歴史の薫る船橋の魅力を紹介しつつ、日本語の持つさまざまな特色、妙味を述べていきます。

(文責:BTS言語学校長 野上英明)