船橋で織りなす日本語模様6【栄橋】 欄干に「手のひらを太陽に」の音符
欄干に音符がおどっている橋があります。河口から5番目の栄橋です。橋のテーマは音楽。船橋は音楽が盛んな街としても知られていて、「音楽のまち船橋」と謳(うた)っています。
実際、下記の通り、多彩な音楽の催しが開催されています。
【1月】 BADATAND FUNABASHI
市内の社会人ビッグバンドによるジャズの祭典
【2月】 ふなばし千人の音楽祭
船橋アリーナに小中高、社会人の吹奏楽団、オーケストラ、
合唱団2000人が感動の演奏
【6月】 船橋市三曲祭
三味線・箏・尺八による和楽器の演奏会
【10月】 ふなばしミュージックストリート
全国からミュージシャンが集い、まるで街全体がライブ会場に
【12月】 船橋市合唱祭
2024年には70回を迎える伝統ある音楽祭。数十もの合唱団が歌声を披露
栄橋の音符が奏でる曲は、漫画家・詩人のやなせたかしが作詞した「手のひらを太陽に」です。
『やなせたかし 明日をひらく言葉』の「まえがき」には、こんな心情がつづられています。
ぼくの歌の中で代表作のように言われている「てのひらを太陽に」の一節は、「生きているからかなしいんだ」である。よく「なぜ悲しいんですか」と聞かれる。悲しみがなければよろこびはない。不幸にならなければ幸福はわからない。(中略)ぼくらはこのさびしげな人生の中で悲喜こもごもに生きるのだ。そして一番うれしいのはひとをよろこばせることだ。
やなせたかし『やなせたかし 明日をひらく言葉』(PHP文庫)
「悲喜こもごも」は一人の感情
上記でやなせが言及している「悲喜こもごも」という表現は、たびたび誤用が指摘される表現です。
「悲喜交々(こもごも)」という漢字が表すように、悲しみと喜びが交互に訪れる、または入り交じっていることを言います。それも、一人の人間の感情を指します。
したがって、選挙報道などで「当落の様子はまさに悲喜こもごもです。」という言い方は誤用とされています。複数の悲しい人、喜んでいる人が入り交じっている意味ではないからです。
「悲喜こもごも」という言葉は、やなせが指摘しているように、悲しみが先にきています。「禍福(かふく)は糾(あざ)える縄の如(ごと)し」という言葉も、「禍」すなわち災(わざわ)い、不幸が先に来て、後に「福」すなわち幸福が訪れています。「糾(あなざ)う」は、縄などをからませて交(まじ)え合わせることです。
やなせの人生は不遇の時代から老年の成功といった軌跡を刻み、まさに「悲」→「喜」という軌道そのものでした。
ミュージシャンの北川悠仁さん(ゆず)が『虹』という著作の中で、アテネオリンピックのテーマ曲として大ヒットした「栄光の架橋」の誕生秘話を次のように明かしています。
僕はふと、競技の後に拍手喝采(かっさい)で迎えられる勝者の陰でひっそりと肩を落とす、敗者の姿を思い浮かべた。そうだ、勝利を手にした人の気持ちではなくて、敗者の気持ち、つまり挫折した人がまた立ち上げっていく気持ちならば書けるかもしれない。そう思って作ったのが、『栄光の架橋』だった。
北川悠仁『虹』(幻冬舎)
「栄光の架橋」の歌詞に、このような一節があります。
悲しみや苦しみの先に それぞれの光がある
作詞:北川悠仁「栄光の架橋」から
悲しみ、苦しみ、挫折を栄光へとつなぐ架橋は、自身の努力はもちろんですが、それを支えてくれる周囲の人々の存在も大きいでしょう。
BTS言語学院では、学生に対してきめ細かな生活指導を行っています。指導は「支道」ととらえ、一人ひとりの学生が進むべき道を過たず行けるよう、支えていきたいと考えています。
留学生にとって日本語学校の教職員こそ、彼らにとっての栄光への橋渡しであらねばならないと肝(きも)に銘じています。
栄橋の完成は、昭和64年1月です。昭和64年は1989年で、平成元年でもあります。
昭和64年は1月1日から7日までの、たった7日間だけでした。1月8日から平成に元号が変わったからです。
栄橋は、昭和最後の1週間の内に完成した珍しい橋なのです。
ちなみに、昭和元年は1926年で、12月25日から始まっています。7日間だけが昭和元年なのです。
つまり、昭和の最初と最後の年は、いずれも7日間だったわけです。