船橋で織りなす日本語模様7【丸山橋】 カッパ菜っ葉一把買った
以前紹介したように、船橋橋の欄干(らんかん)の四隅(しぐう)の一つには、遠くを見やるような仕草(しぐさ)のカッパ座像があります(https://bts-acad.com/n132.html)。
一方、丸山橋には、漫画家30名がデザインしたカッパたちが船に乗り込んだ像があります。
石ノ森章太郎、ちばてつや、手塚治虫、さいとうたかお、藤子不二雄(A)、やなせたかしなど著名な漫画家が参加しています。
この橋のイメージは「ボランティア精神」で、「ボランティアの船」にカッパたちが乗船しているのです。
そして、海老川橋のすぐ近くには、シーラカンスに乗ったカッパがいます。
「かっぱ」をローマ字で書くと「kappa」です。kもpも破裂音と言われる音で、発音に力が必要な音です。そして、間に小さい「っ」の促音がついています。
とても印象に残る音だと思います。
詩人・谷川俊太郎氏の『ことばあそびうた』に「かっぱ」という作品があります。
かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた
かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった
谷川俊太郎「かっぱ」 『ことばあそびうた』(福音館書店)所収
リズムよく声に出してみると、味わい深い詩です。
あえて、漢字を交えて助詞を補うと次のようになります。
河童(かっぱ)が掻(か)っ払(ぱら)った
河童がラッパを掻っ払った
トッテチッテタ(ラッパの音)
河童が菜っ葉を買った
河童が菜っ葉を一把(いっぱ)買った。
買って切って食った
「かっぱらう(掻っ払う)」は盗むという意味です。
「掻(か)き払う」が元の言い方で、「掻く」というのは、指や爪で強くこすったり、つかんで離さなかったりすることです。
また、手などで物を引き寄せたり、押しのけたりすることです。
「水掻き」と言えば、水生動物の指にある薄い膜(まく)のことで、水中を動くときに重要な部位です。カッパにもあるとされています。
「かきはらう」から音が変化して、「かっぱらう」になりました。
生活に身近な例で言うと、「引き越す」が変化した「引っ越す」という表現があります。「引っ越す」(名詞形は「引っ越し」)は、もはや元が「引き越す」であったことなど、ほとんど意識されません。
巨大で豊富な言葉の世界
同じような変化の例を見てみると、次のような言葉があります。
「取り払う」(とりはらう) →「とっぱらう」
「追い払う」(おいはらう) →「おっぱらう」
「差し引く」(さしひく) →「さっぴく」
「引き剥がす」(ひきはがす) →「引っぱがす」
「取り掛かる」(とりかかる) →「とっかかる」
「取り付く」(とりつく) →「とっつく」
「掻きさらう」(かきさらう) →「かっさらう」
「取り散らかす」(とりちらかす)→「とっちらかす」
小さい「っ」(促音)に変わるので、こうした音の変化を促音便と言います。
なぜ、このような音に変化したのかは、日本人にとってそれが言いやすかったからということでしょう。
「音便」とは発音に便利なように音が変化することだとも言えます。
「っ」の後のhの音はPの音に変化するのが原則です。破裂音になるのです。
日本語における無声の破裂音には「p」「k」「t」があります。促音便における「っ」の後は、この無声破裂音が続くというわけです。
そのほか、「s」「c」の音が続く場合もあります(「かっさらう」「とっちらかす」など)。
そこで、カッパの語源ですが、「河」(かわ。元は「かは」)と「童」(わらは→わっぱ。子どものこと)が合わさって「かはわっぱ」。それが短縮されて「かっぱ」という説があります。
谷川俊太郎氏は作詩について次のように述べています。
「自分の中に言葉がある」って、ある時期から思わなくなりました。
自分の中の言葉がすごく貧しいって思うようになったんです。
自分の外にある日本語を考えると、これはもう巨大でものすごく豊かな世界だと。
あの「かっぱかっぱらった」なんて、いくら自分が考えても出てこないでしょ。
あれは、かっぱというといろんなお話もあるし、「かっぱなっぱかった」みたいなおもしろい日本語もあるから、それをうまく組み合わせて細工物(さいくもの)を作るように作っているわけです。
谷川俊太郎『詩を書くということ――日常と宇宙と』(PHP)
周囲の、自分の外にある日本語にもっと耳を傾け、色々な言葉の発見を楽しんでいきたいものです。
丸山橋には「さざんかさっちゃんと福太郎」像もあります。
サザンカは船橋市の木に制定されていて、さざんかさっちゃんは募金活動のマスコットキャラクターです。
ボランティア精神のシンボルとして市民に愛されてきました。
船橋駅のコンコースにも少女に抱かれた像があり、待ち合わせ場所として有名です。福太郎はその弟だそうです。