船橋で織りなす日本語模様10【太郎橋】 太郎が4人「いる」?「ある」?
太郎橋の「太郎」とは桃太郎、金太郎、浦島太郎、ものぐさ太郎といった、日本の昔話の主人公が由来のようです。太郎橋のテーマは日本の童話です。
欄干の四隅には、それぞれの「太郎」像が設置されています。
太郎が4人いるのです。いえ、太郎像が4体あるのです。
桃太郎は、イヌ、サル、キジを伴い、サルが船のかじ取りをしています。
金太郎はクマに、浦島太郎はカメにまたがっています。
そして、ものぐさ太郎といえば、寝そべった姿で「ひろっておくれ」という吹き出しまで付いています。これは、食べ残した餅(もち)が転がってしまい、それも取りに行くのが面倒なので、誰か拾って取ってきてほしい、と言っているのです。それほど、ものぐさな男だということです。
「ものぐさ」は面倒くさがることを意味します。
口承文芸学者の小澤俊夫氏は昔話について次のような見解を述べています。
それぞれの民族のなかで、広く、長く口伝えされてきた昔話は、明らかにその民族の伝承文化財です。
しかも、現在の研究成果からみれば、一民族だけがもっているのではなく、人類が共有している話も数多くあります。
その意味で、昔話全体が人類の貴重なる文化遺産なのです。
それをこわさないで次代にわたしていくことは、広く現代のおとなに課された重要な課題です。
小澤俊夫『昔話の語法』(福音館書店)
文字ではなく、口頭で語られてきたのが伝承文化である昔話の特徴です。「人類の貴重なる文化遺産」を伝える一端を、太郎橋の4体の銅像は担っていると言えるかもしれません。
さて、昔話の冒頭としてよく語られる場面に次のような表現があります。
むかし、むかし、丹後の国 水の江の浦に、浦島太郎というりょうし(漁師)がありました。
『浦島太郎』
むかし、金太郎という強い子供がありました。
『金太郎』
むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。
『桃太郎』
あれっ、「ありました」って、ちょっと変じゃないか、と思った人もいるかもしもしれません。
同じような指摘をする鋭い留学生もいます。
おじいさん、おばあさんは人間だから「いました」ではないか、というもっともな疑問です。
しかし、日本最古の物語である『竹取物語』の冒頭も、「ありました」(あった)です。
今は昔、竹取の翁(おきな)といふ者ありけり
『竹取物語』
「今は昔」は「今となっては昔のことだが」の意味です。「翁」は「おじいさん」、「といふ」は現代表記では「という」。「けり」は過去を表す助動詞で、「ありけり」の現代語は「あった」となります。
今でも、例えば秘書が上司に「今日の午後、来客があります。」と言うときがあります。来客は当然、人なのですが、「あります」を使います。これは「来客」、つまり客が来るという一つの出来事が「ある」と捉えているからだと考えられます。
「所有または所属的存在」という観点からは、次のような表現もあります。
彼女に3人の子どもがあるとは、とても思えない。
歌手の加藤登紀子さんの「愛する人があるのなら」と題する歌もあります。
野口雨情の作詞で有名な「七つの子」は、下記のように歌われています。
からす なぜなくの
からすは 山に
かわいい 七つの
子があるからよ
野口雨情作詞「七つの子」
以上の2例では、人間や鳥の子どもの存在を「ある」で表しています。
次のような表現の違いも、よく見受けられます。
1.あそこに歯医者があります。
2.あそこに歯医者がいます。
1番は、歯医者を医療施設の意味で「あります」と言い、2番は、歯医者を医師として認識して言っています。「明日、歯医者に行く予定です。」などは日常的に使われる表現で、ここで言う「歯医者」は医療施設の意味です。
動きのある/なしで使い分け?
以下のような表現はどうでしょうか。
3.今日の晩ご飯、魚があるね。
4.このすし屋、水槽に魚がいるね。
5.今見たら、駅前にタクシーが1台もなかった。
6.今見たら、駅前通りにタクシーが1台もいなかった。
これは、3番と5番のように、動きのないものに対しては「ある」「ない」を使い、4番と6番のように、動きのあるものに対しては「いる」「いない」を使っていると考えられています。
ゴールデンウィーク明けの授業で、休みの間、どこかへ行ったかという話題で、ある学生が「海へ行きました。」と言いました。担当の教員が「いいですね。船はいましたか?」と、つい聞いたそうです。
授業後、その教員が「『船がいました』という表現は、初級の学生には不適当でしたね。」と反省していました。しかし、それも生きている日本語の学習です。船が走っているイメージが、自然なコミュニケーションの中で、学生と教員、学生同士で共有できたらいいなと思いました。
日本語学校では初級の留学生に、人や動物は「います(いる)」、植物や物は「あります(ある)」と説明しますが、なかなかそう簡単にはいかないのが言語学習の難しさであり、面白さです。