船橋で織りなす日本語模様12【鷹匠橋】 鷹狩りの徳川将軍ゆかりの丸木橋
徳川家康(とくがわ・いえやす、徳川初代将軍)をはじめ歴代の徳川将軍が鷹狩りの際に宿泊したのが船橋でした。
家康と船橋は縁が深く、船橋大神宮内の常磐(ときわ)神社は家康・秀忠(ひでただ、徳川2代将軍)・日本武尊(やまとたけるのみこと、日本古代史における伝承上の英雄)を祀(まつ)るとされています。
鷹匠(たかじょう)の放つ鷹を丸木橋から見やる将軍がいたそうです。この丸木橋は、昭和30年(1955年)ごろまでは架橋されていたようですが、河川改修などがあり、周辺の様子は変わってしまいました。
その後、歴史的な橋の復活を望む声があがり、新しい鷹匠橋が完成したそうです。歴史と自然に敬意を表してか、海老川に架かる14の橋の中で、唯一の木製です。
「〇〇狩り」と言うと、「鹿狩り」や「なし狩り」「いちご狩り」などが連想されますが、これは、「狩り」という言葉の前の、動物を捕獲すること、果物を摘(つ)むことを意味します。
「潮干狩り」は貝を拾うことで、船橋でも「ふなばし三番瀬海浜公園」(船橋市潮見町40番)で楽しむことができます。
鹿狩り
なし狩り
いちご狩り
潮干狩り
また、「もみじ狩り」は、もみじを鑑賞することで、もみじの葉を摘むことは通常しません。
もみじ狩り
この点、「鷹狩り」は、訓練された鷹を使って行う狩猟のことであり、鷹を狩るためではありません。
鷹狩り
「鷹匠」は鷹の飼育、訓練に従事し、鷹狩りの際に活躍する専門職の人のことです。「たかじょう」と読みます。「鷹」と「匠」の複合語なので、連濁によって「じょう」となっています。
鷹匠橋には鷹の像があり、細長い円柱の上で大きく羽を広げています。今にも飛び立とうとしているようにも、飛んできたばかりのようにも見えます。
おおたかの像も設置されています。
たけだけしさの中に「静けさ」を見る
船橋にゆかりのあるノーベル賞作家・川端康成の短編『竹の声桃の花』に、枯れた一本の松に鷹が飛んできたシーンが描かれています。
燃えさかる炎のなかに、大輪の白い蓮華が花を開いて、浮き出たようなものであつた。
春のほのかの夕空は、燃えさかる炎とは似も似ていないし、鷹は白い蓮華とは似も似ていない。
しかし、枯松の上のたけだけしい鷹には、静けさもあつた。一連の蓮華である。
川端康成『竹の声桃の花』(現代語表記に改めた)
光の弱い春の夕空を燃えさかる炎にたとえ、たけだけしい鷹を蓮華にたとえています。いずれもまったく似ていませんが、そこに「静けさ」という共通点を指摘しているのです。
「たけだけしい」は漢字で書くと「猛々しい」なので、強く勇ましいイメージですが、そのたけだけしさの中に「静けさ」を見出す文豪の慧眼(けいがん)に驚かされます。
川端は昭和8年から10年(1933年~1935年)ごろ、割烹旅館三田浜楽園に足を運んでは、この旅館の部屋で執筆にいそしみました。その一篇である『童謡』の一節が文学碑に刻まれ、船橋市役所前の公園(船橋市湊町2丁目14-13)に設置されています。
川端康成「童謡」より
窓の下の舟を見た。この部屋の裏側に
あたる遊園地の方からは、まだ夏の夜
らしく、ラツパやハアモニカが聞えた
けれども、こちらの窓はもう虫の声ば
かりであつた。斜めに並んだ舟がほの
白く浮んで、静かさを添へた。
「三田浜楽園」とは遊園地のことで、動物園、野球場、プール、などもあり、東京などからの観光客で賑わっていたようです。
文学碑の一節では、裏側の遊園地の賑やかさと部屋の窓側の「静かさ」が対比されています。
先述した鷹の「静けさ」。
そして、窓の下に浮かぶ舟が添えた「静かさ」。
「静けさ」と「静かさ」はよく似ていますが、微妙に感覚が異なります。
文法的に言えば、「静けさ」は形容詞「静けし」の名詞形です。この形容詞は現代語では使われなくなっています。
一方、「静かさ」は形容動詞「静かなり」で、現代では「静かだ」で使われている、その名詞形です。
「静けさ」は絶対的に静かなことを指すイメージがあります。「嵐の前の静けさ」「しんとした静けさ」という表現があります。
「静かさ」は比較して静かだという感じです。どのくらい静かなのか、静かだという状態の程度を言いたいときに使うと言えばいいでしょうか。
とは言え、現代では「静けさ」という言葉はやや古い感じがし、「静かさ」でも十分、コミュケーションはとれるようになっています。
同じような言葉に、のんびりしている状態を表す「のどけさ」と「のどかさ」があります。
心がおだやかな様子を表す「安らけさ」と「安らかさ」もありますが、今では「安らけさ」はほとんど聞くことはなく、「安らかさ」が残っています。