船橋で織りなす日本語模様14【向田橋】 橋を渡って川を泳いで空を飛んで…
いよいよ海老川に架かる14番目の橋を渡ります。最後は向田橋(むかいだはし)です。テーマは「農業・豊作」で、あたりは街なかの喧騒を離れて田園風景が広がっています。
自動詞と他動詞をやたらと気にする学生が時々います。
そうした学生から、「橋を渡ります」の「渡る」は、自動詞か他動詞かを聞かれたことがあります。「~を」の後は他動詞が多いのですが、「橋を渡る」は自動詞です。
こう答えると、学生はちょっと不思議な顔をします。
「~を」+他動詞、「~が」+自動詞――といった具合に画一的に覚えたための弊害です。
この「を」は空間を移動する際に使用する助詞です。
「~を」+移動の動詞には次のような例があります。
空を飛びます。
海老川を泳いでいます。
川沿いを歩きます。
海を渡ります。
公園を横切ります。
船橋を巡(めぐ)ります。
山を登ります。
「山を登る」と「山に登る」では若干、意味合いが異なります。
「山を登る」は山を登っている経過に視点があります。
「山に登る」は山頂に到着したイメージです。
山を登ります。
山に登ります。
そう考えると、「(空間)を」移動する場合は、その経過を重視していると言えるかもしれません。
ここまで、海老川に架橋されている14の橋を紹介してきました。いわば、14の橋を言い尽くしたことになります。
作家・三島由紀夫に『橋づくし』という短編の傑作があります。
中秋の名月の夜、東京の銀座・築地あたりに架かる7つの橋を4人の女性が渡っていく物語です。彼女らは、一言もしゃべらずに渡り切れば、願いが成就(じょうじゅ)すると信じています。
まさに、「橋を渡る」というその経過に注目した物語です。
第一の橋を渡ろうとする際の描写は次の通りです。
一同はまずこちら岸の袂(たもと)で、手をあわせて祈願をこめた。(中略)女たちはそろそろと橋を渡りだした。
下駄を鳴らして歩く同じ鋪道のつづきであるのに、いざ第一の橋を渡るとなると、足取は俄(にわ)かに重々しく、檜(ひのき)の置舞台の上を歩くような心地になる。
三島由紀夫『橋づくし』(『花ざかりの森・憂国 ―自選短編集―』新潮文庫所収)
橋の手前と橋の上では、ある意味、同じ道が続いているだけであるのに、女性たちの真剣さ、緊張、慎重さが伝わってきます。
「袂」とは、「手本(てもと)」が由来とされています。元は和服の袖の部分のことで、特に袋状になっているところを言います。着物の袖の下の方という意味から、着物の終わり部分、すなわち「きわ」の部分を指し、橋や山に転用されました。そして、「橋のたもと」「山のたもと」という表現が生まれました。
同種の「~づくし」と1種類の「~ずくめ」
向田橋のたもとから、橋を渡っていくと、欄干に2羽のキジが餌(えさ)をついばむレリーフが見えます。
約700年前に吉田兼好が著(あらわ)したとされる『徒然草(つれづれぐさ)』の118段に次のような記述があります。
鯉(こい)ばかりこそ、御前(ごぜん)にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚(うを)なり。鳥には雉(きじ)、さうなきものなり。雉・松茸(まつたけ)などは、御湯殿(みゆどの)の上に懸(かか)りたるも苦しからず
【鯉だけは、天皇の御前でも切って料理されるものだから、魚の中でもたいした魚なのである。鳥類では、雉が並ぶもののないものである。雉や松茸などは、宮中の「御湯殿の上」の間に懸けられてあるのも、見っともなくない。】
安良岡康作訳注『旺文社全訳古典撰集 徒然草』(旺文社)
ちなみにキジは現在、日本の国鳥です。そして、海老川には鯉がいます。
ところで、「~づくし」と「~ずくめ」の違いを聞かれることがあります。
下記の1、2、3のうち、一つだけ誤用とされる文があります。
1.マツタケづくしのぜいたくな料理を味わった。
2.今日の料理は肉づくしだった。
3.心づくしの料理をごちそうになった。
1番の文が誤用です。正しい表現は次の通りです。
マツタケずくめのぜいたくな料理を味わった。
「~づくし」は同種類の物・事だけの意味です。「同じ種類のばかり」という気持ちが強いです。
「~ずくめ」は、その物・事だけの意味です。「同じものばかり」と言いたい時に使います。
2番は、豚肉、牛肉、鶏肉などいろいろな種類の肉が食べられる料理です。あの皿には豚肉、その皿には牛肉、この皿には鶏肉といったように、種類は違うけれども、肉料理が並んでいる様子です。
もしキジ肉のたれ焼き、塩焼き、すき焼き、しゃぶしゃぶなどの料理が並んでいるのであれば、「キジ肉ずくめの料理」と言えるでしょう。
キジ肉は高たんぱく低カロリーの食品として知られています。
1番は、マツタケという1種類の食材だけが色々な料理方法によって提供されたものです。例えば、マツタケの土瓶蒸し、マツタケの茶碗蒸し、マツタケのお吸い物、マツタケごはん、焼きマツタケ、マツタケの天ぷらなど。
3番は、「~づくし」という形にはなっていますが、心を尽くす、つまり、心をどこまでも込めて何かをすることを意味します。
したがって、やや意味が異なるのですが、心の中には様々な感情があり、その一つ一つを込めて作った料理という理解をすれば、同じような意味になるのではないかとも思います。
まさに、この皿にも心があり、あの皿にも心が感じられるといった思いでしょう。
そう考えると、三島の『橋づくし』という書名は、橋を渡り切る、渡り尽くすという意味での橋を尽くす、という意味かもしれません。
しかし、色々な橋を様々な思いを抱えた人が渡ると考えれば、「橋づくし」という言葉は、実に情緒深いものがあります。
「黒ずくめ」と言えば、アニメ「名探偵コナン」に登場する「黒ずくめの組織」で覚えた学生もいます。「黒づくしの組織」ではありません。
また、「この学校は規則ずくめだ。」とは言いますが、「この学校は規則づくしだ。」とは言いません。
表記は「~づくし」であって、「~ずくし」ではないことにも注意が必要です。
同じく「~ずくめ」であって、「~づくめ」ではありません。